親不孝通り商店会

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親不孝通りについて

親不孝通りの歴史About

親不孝通りの歴史|複数の予備校があり、予備校生が目立ったことから“親不孝通り”と呼ばれるように

親不孝通りという名称は、1970年代の頃、当時、この地域には複数の予備校があり、そこに通う予備校生がこの通りを通っていたことから、いつの頃からか“親不孝通り”と呼ばれるようになりました。

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親不孝通りの歴史|若者が集まる繁華街として全国的に知られるように

その頃から、予備校生を対象とした喫茶店やゲームセンターなどが立ち並ぶようになり、バブル期にはさらに居酒屋やバー、カラオケボックス、ディスコクラブなどができ、ストリートミュージシャンの聖地になるなど、次第に夜の街へと変わり、若者が集まる繁華街として全国的に知られるようになりました。

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親不孝通りの歴史|通り名の改称

その一方で、まちの治安も悪化し、通り沿いにある長浜公園には交番が設置され、「親不孝通り」という名称のイメージが悪いことを理由に、通り名が「天神よろず町通り」から「よろず町通り」、「オヤフコウ」の発音を残した「親富孝通り」へと改称されてきました。

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親不孝通りの歴史|2017年に元の「親不孝通り」へと名称が戻されました

その後、治安は回復するものの若者を中心とする最盛期の賑わいは取り戻せない状態が続くなか、地元住民の希望により、2017年に元の「親不孝通り」へと名称が戻され、現在も、飲食店や若者向けのクラブ等の娯楽施設が立ち並ぶ通りとして知られています。

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親不孝通りエリア
まちづくり協議会

まちづくり協議会が
生まれたきっかけ

まちづくり協議会が生まれるきっかけとなったのは、行政が計画した2016年の「親不孝通り再整備計画」でした。整備内容に対する地域の意見をまとめるため、地域住民、事業者、商店主、学校、警察、行政からなる「天神・舞鶴親ふこう通りまちづくり協議会」を設立し、住民側の要望を伝え、以前とは比較にならないほど明るくきれいな通りに生まれ変わりました。

親不孝通りエリアまちづくり協議会が生まれたきっかけ

“親富孝通り”から
元の「親不孝通り」に

また、2017年には、通りの名称について住民アンケート調査を行い、“親富孝通り”から元の「親不孝通り」に戻すことを決定し、協議会の名称も現在の名称に変えました。

“親富孝通り”から元の「親不孝通り」に

まちづくり協議会の
活動

活動内容は、まちづくり計画の策定や、「ごみゼロ・落書きゼロ・飲酒運転ゼロ」を目標としたスリーゼロ活動、清掃活動、長浜公園パークピクニックなど、「安全・安心で賑わいのあるまちづくり」を目指し今も活動を継続しています。

まちづくり協議会の活動 スリーゼロ活動、清掃活動、長浜公園パークピクニックなど

目標の実現に向けて

新型コロナウイルスの感染拡大により、活動が停滞し、通りの来街者数も減少するなど厳しい状況が続いていますが、この逆境に負けず、親不孝通りが抱えている課題を解決し、目標とする将来像を実現に向け、親不孝通りに関わるたくさんの人たちと力を合わせて取り組んでいきたいと考えています。

目標の実現に向けて